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ユン・チャンオプ

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小田 香


韓国映画「ブラインド」を、それぞれの国で作る

世界が注目する韓国映画界。
そこでは多くの映画人が海外の市場を見据えた映画制作にあたっている。

視覚障害者の女性が視覚以外の感覚を頼りに失踪事件を追う姿を描いた、2011年のサスペンス映画「ブラインド」をプロデュースしたユン・チャンオプもその一人だ。

彼が2008年に立ち上げた制作会社Moon Watcherから生まれた「ブラインド」は、中国に続き日本でも「見えない目撃者」(2019)としてリメイクされ話題を集めた。

その後ベトナム、さらにインドでも制作が進んでいるという本作の話のほか、これまで関わった作品や映画界での経験を通じて感じたことなど、多岐にわたり語ってもらった。

──「ブラインド」についてお伺いします。
制作当初から他国でリメイクされることを想定されていたのでしょうか?

「最初は韓国映画として企画しました。
韓国版は2007年末から2010年までの3年間韓国で準備していました。

同じ頃、他のプロジェクトで中国市場について勉強していたので『ブラインド』も中国と合作できればいいと思い、2010年からは韓国版、中国版を同時に進めるようにしたんです。

そんな中で韓国版が先に公開され、その後で中国版が公開されました。ですから、厳密に言えばリメイクではありません」

──では、日本版も同様と言えますか?

「そうですね。
日本も韓国と中国版が公開されてから、日本版が制作されたため、リメイクと思われやすいですが、私はもともと初期の頃から『ブラインド』という企画をいろいろな国で作る、という計画を持っていました。

もちろん、日本の映画製作環境が保守的な部分もあって、韓国と中国である程度成功を収めたことが日本での制作を可能にしたという面もありましたが、一つの企画をもって、その国で合ったコンテンツを作り出すという、言い換えれば映画領域の拡張が目標と言えます」

──ほかに合作映画も手がけられていますが、それぞれの国で韓国の現場との大きな違いを感じたことはありますか?

「中国で作品を作るためには、韓国とは違って難しい部分がありました。

中国やベトナムの場合は、映画の内容について政府当局による内容審議が存在するため、その部分を考えて内容を変えたり、変更が発生したりするのが一番の問題でした。

幸い中韓合作ドラマを通じて、6年程中国の映画産業や環境を経験していたため、短期間で瞬発力を持って対処できたと思います。

ほかには、中国の俳優は韓国に比べて映画撮影中にも個人スケジュールが入っていることが多く、スケジュール調整の難しさもありました」

──日本との仕事はどうでしたか?

「日本の場合は最初リメイク版権だけを買い取り、日本で独自に制作したいと希望されました。

しかし、私は版権だけを売るのではなく、共同投資及び制作という形が望みでした。

幸い中国とのグローバル共同制作に対するノウハウがあって、私の制作した中国版『ブラインド』が中国ボックスオフィスで1位を獲得した実績もあったため、これを信頼してくださった日本側の配慮で共同制作ができました」

──中国版、日本版をご覧になった感想をお聞かせください。

「中国版はヤン・ミーと ルハンの二人の俳優が主演を演じました。
韓国版がより作品中心だとすれば、中国はマーケティング・マインドが大事だったため、俳優中心となる傾向があります。

また、ファンのパワーが強いので、役割と分量を気にしないわけにはいきませんでした。

例えばルハンが歌手ということを考えて、音楽を一つのコードとしてシナリオに取り入れたりしたんです。

中国版制作時は、韓国のシナリオしかありませんでしたが、日本版制作の際は韓国と中国の二つのシナリオが存在したため、二つのシナリオの長所を取り入れようとしました。

日本は社会派推理物の要素がたくさん入っています。犯人を追跡して追って行く部分にもっとポイントを合わせています。

韓中が二人の主人公の成長ドラマ的要素と犯人との死闘を半々で描いているとすれば、日本は犯人の追跡と女の子の救出を通じてヒロインが警察の役割を完遂することがポイントだと言えますね」

──オリジナルは日本ではパク・ボゴムさんのデビュー作としても、よく知られています。
当時のキャスティングの経緯について教えていただけますか?

「ヒロインの弟役で、すぐに死んでしまうため比重は多くありませんが、演技の上手な俳優が必要でした。

それで、あちこち探していたところ、所属事務所側からソン・ジュンギの後を継ぐ俳優と考えているので、一度会ってみてくれないかと言われ、オーディションを受けてもらうことにしました。

それで監督も私も気に入ったため出演が決まったのです。

ボゴムさんには、たくさんの俳優が作品に出演するためとても努力していること、早くにデビューが決まったことに感謝する気持ちを忘れず、謙虚な俳優になってほしいと言いまして、有名になっても知らないふりをしてはいけない、とも伝えました。

でも、こんなに早く有名俳優になるとは……(笑)」

──ボゴムさんは今ではアジアのスターになりましたね。他の作品の場合でもキャスティングで心がけている点は何でしょうか?

「キャスティングで一番気を遣う部分は、普通ならキャラクターとイメージが合うかどうかと言いがちですが、普段私が知っていたイメージと違う場合もあり、イメージは合うけれど役に似合わないと言いう場合もあったりします。

それで、私が一番大事にしているのは、イメージも重要ではありますが、その俳優の態度と実力だと思います。

演技の上手な俳優はどんな役もこなすことができます。
ただ、その俳優の映画に対する姿勢や態度、そして人柄がもっと重要です。

ですから、評判の悪い俳優はいくら有名で実力があっても私はキャスティングしようとは思いません。

その俳優を起用して投資が得られることもあるでしょうが、どんな形であれ問題が生じるし、現場が幸せでないため、少し苦労しても気に合う俳優と作業した方が良いと思います。映画は人が作るものなので人がより重要なのです」

──映画業界で本格的に活動される以前、映画のマーケティングや映画祭ボランティアなど様々な関連業務に従事されていたそうですが、そうした経験がどのように役立っていると思いますか?

「除隊するまでは映画を仕事にしようと思ったことはありません。
ただ、映画が趣味で好きな映画狂に過ぎませんでした。

除隊後、映画には監督、俳優、評論家などだけではなく、映画マーケッターとプロデューサーがいるということを知りました。

私は経営と新聞放送学を専攻しまして、経営の中にマーケティングという分野があります。
それが私の得意科目でした。

普通、物を広報して売るのがマーケティングだと考えがちですが、マーケティングの定義は財貨と用役を必要とする消費者に、最も効率的にコミュニケートできるようにする一連の過程です。

それなら、マーケティングの中で、どんな財貨や用役を必要とするのかを考えるのがまさに企画であり、その財貨や用役が映画なら、マーケティング過程が映画プロデューサーというわけです」

──その後、アイエム・ピクチャーズやファインワークスでキャリアを積まれましたが、その中で学んだことや印象に残っていること、思い出深い作品などについてお話しください。

「いくつかの作品がありますが、一つだけ挙げるなら『猟奇的な彼女』だと思います。
『猟奇的な彼女』は私が制作したり、大きく参加したりした作品ではありません。

すでに完成された作品で、公開のためのマーケティングのアルバイトとして参加した私の仕事を評価してくれた役員の方のおかげでアイエム・ピクチャーズに就職することになりました。

その後すぐ、海外セールス担当チーム長が会社を辞めることになり、私が代打としてその仕事を任されたのです。

ある意味、韓流の始まりともいえる、全世界的に旋風的な人気を集めた作品の海外セールスを任されてグローバル・マインドを育てることができて、 そのおかげで私が今持っている中国や日本のビジネスに対する考えが確立したと思います。

中国で本格的なビジネスを始めた時も『猟奇的な彼女』のセールス担当だったという経歴が役に立ち、クァク・ジェヨン監督を連れて2009年上海国際映画祭に行った際に、マスコミの注目をすごく浴びました。

日本、アメリカ、中国でドラマや映画でリメイクされるほど、大変人気があった作品でしたね」

──そして、2008年にご自身の会社Moon Watcherを設立されたんですね。
創業にあたって念頭に置いたことや、現在まで変わらないポリシーなどをお聞かせください。

「私が創業初期から立てた4つのビジョンがあります。
第1は、映画領域の拡張です。

言い換えれば、韓国映画産業としてだけ映画を作るのではなく様々な国の映画人と一緒に作業して、他国の観客と一緒にコミュニケーションをすることです。

第2は映画媒体の拡張です。
それまでは主に映画中心に仕事をしていましたが、映画以外にも漫画やアニメ、公演、出版、ドラマなどの作業をすることです。

だんだんデジタル化していくと、まず各領域の媒体の破壊、つまり境界が崩れると思いました。

ドラマや映画の違いがなくなる、といったことなどです。
そんな時代で映画を作るということは過去の100年間の映画媒体としてではなく、観点の変化が必要だと思いました。

第3は映画観客層のターゲット拡張です。
その中でもまずファミリー層のためのコンテンツを作るべきだと思いました。

Moon Watcherを立ち上げる前の10年間、私は20〜30代のための作品を作ってきました。ほとんどの韓国映画がそうです。

しかし、ハリウッドを見るとファミリー層をターゲットとしたコンテンツが多いんです。

ですから、韓国の映画関係者ができなかった、そういう部分にもっと注目すべきではないかと考えました。

第4は映画ジャンルの拡張です。
私はSFファンタジージャンルに挑戦しようと思います。

世界的に影響力のあるジャンルであるにもかかわらず、韓国があまり試すことのできなかった分野です。

過去には先輩たちの幾度の挑戦もありましたが、失敗して市場では保守的な見方をする状況です。

しかし、誰かが続けて挑戦し成功する姿を見せて、我々もうまく作れることを証明すべきだと思っています」

──それでは、長年お仕事をされてきた中で、転機になったと思う作品や出来事についても教えてください。

「私のプロデュースデビュー作となった『マウミ…』は欠かせません。
映画制作の際、コントロールしづらいため避けがちなのが子供と動物ですが、この作品を通じて動物を主人公にする初の韓国映画を企画しました。

またマウミ役のリトリーバー犬、タル(Moon)と一緒に作業できたため、動物と撮影する映画に自信を持つことができました。

それで『ブラインド』の最初のシナリオ準備段階は盲導犬がいない設定でしたが、タルを信じてシナリオに盲導犬の設定を入れ他のです。

ユ・スンホさんも小学校6年の時に『マウミ…』に主演してもらい縁を結び、彼が高校3年になった時に『ブラインド』を一緒に撮ることができました。

『ブラインド』の撮影の際、ユ・スンホ君に『タルに久しぶりに会えて嬉しいだろう』と聞いたら、『僕のこと覚えてなさそうで寂しい』と言っていましたね(笑)。

私には大切なタルが13歳くらいの時、最後に一緒に仕事をしたいと中国版の時にも連れて行こうとしましたが、老犬だったため、関節炎もあってドクターストップがかかり、叶いませんでした。

その1年後には死んでしまったんです。
考えてみるとタルはユ・スンホ、ソン・ジュンギ、パク・ボゴムなど、今は有名になった俳優たちと一緒に演技をしましたね。

余談ですが、タルは『ブラインド』公開の当時、大鐘賞女優助演賞に推薦したんです。
もちろん、動物なので候補にはノミネートされませんでしたけど」

──そんな背景があったんですか。次に、少し遡って韓国映画のルネッサンスについてお伺いします。

「ルネッサンスの“ル”に再びという意味があるように、韓国映画も朝鮮戦争後のあんなに貧しかった50〜60年代にもそれなりの全盛時代があったんです。

キム・ギヨン監督の『下女』(60)は、マーティン・スコセッシ監督がデジタル復元したりもしました。

『空爆作戦命令 赤いマフラー』(64)という空軍パイロットを扱った傑作ブロックバスター映画もありました。

当時は作品本数も多く、様々なジャンルや実験的作品も多かったです。

その後、少しずつ衰退し始め、80年代末に韓米貿易協商を通じて、ハリウッド映画の配給形態が、韓国の配給社を経てロイヤリティの分配をしていた形式から、ハリウッドの配給会社が直接配給す形に変わることになり、韓国映画産業は危機を迎えることになります。

その時、若き韓国の映画人がこの状況を変えられないなら、我々にできることは韓国の観客が好きな自分たちの映画を作るしかないと言い始めました。

その先輩たちが一生懸命頑張って韓国映画の質を少しずつ上げていき、それまで20%程度だった韓国映画の観客占有率50%を超えたのが2001年のことです。

先輩映画人の方々の情熱と努力によって、ルネッサンスが作られたのだと思います。

ただ、韓国の映画産業がうまくいっているのも、最初に日本映画があり香港映画の復興期があったから今に至ったわけで、今後どの国がいい映画を作れるかは誰にもわからないことでしょう。

韓国だけが覇権を持つのではなく、いろいろな国でいい映画が作られてほしいです」

──現在、ウェブ作品の増加や配信のみでしか見られない映画なども増えています。
こうした新たな状況や、今後についてはどうお考えでしょうか?

「私は当たり前の時代の流れだと思います。
急速に変化するメディア環境の中で、どのように進化するか絶えず質問を投げかけるべきです。

映画人が映画の中だけで映画を夢見るのではなく、世の中とコミュニケーションをとって映画を作らなければならないように、映画媒体を囲む環境とも絶えずコミュニケーションをとって、新しい時代に合った新しい映画の進化に対して悩み続けなければならないと考えています。

映画というものに正解はありません。
大事なのはクリエイティブ精神です。

ただ、独創性を指すのではなく、絶えず新しさを追求し、その新しさを多くの人に良いものだと知らせようとする過程だと言いたいです。

この仕事に携わる方々がクリエイティブ精神を失わないことを願っています。

新たな才能を見出すための努力もしています。
様々な人とコミュニケーションをとっていけば、自然に優れた感性や新たな才能と出会えるのではないでしょうか。

ですから私も、やはり現場に出てできるだけ虚心坦懐に話をたくさんしようと心がけています」


ユン・チャンオプ

1977年6月22日生まれ。西江大学経営学科、新聞放送学科卒。映画広報・マーケティング・企画会社「シネマーケット」のシステムオペレーター、映画祭ボランティアなどを経て、2001年から04年まで映画専門の投資会社「アイエムピクチャーズ」に勤務し、「猟奇的な彼女」「ビッグ・スウィンドル!」など10余りの作品の企画、投資、マーケティング、海外セールスなどを担当した。04年からは「ファインワークス」の創立メンバーとして、「師の恩」や「最強ロマンス」などをプロデュースした後、08年に現在の制作会社「Moon Watcher 」を設立。「ブラインド」が成功を収め、11年大韓民国コンテンツアワード海外進出有功者賞など各賞を受賞し、16年には文化体育観光部長官表彰を受けた。

「見えない目撃者」(2019)


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