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review

少年

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八幡橙


ホウ・シャオシェンにとっても
特別な一本

小学生の主人公・小畢(シャオビー)が走り回る淡水の素朴な街並み、ポケットいっぱいの瓶の王冠、学校帰りのピンポンダッシュ、ビー玉、女子が道端で興じるゴム飛び、そして貸本屋……。

いつか自分もここにいたと思わせる牧歌的で懐かしい情景が、少ない台詞のうちに流れるように紡ぎ出されてゆく。

その後、監督と脚本家として長くコンビを組むことになる侯孝賢(ホウ・シャオシェンと朱天文(チュウ・ティエンウェン)の記念すべき初顔合わせとなった「少年」(原題は「小畢的故事」)は、母の結婚により、血の繋がらない父と暮らすようになった一人の少年の成長の記録だ。

朱天文の短篇小説に基づいた本作では、侯孝賢は製作と共同脚本に回り、侯作品の撮影監督として知られていた陳坤厚(チェン・クンホウ)が監督を務めている。

この映画の何よりの肝は、少年自身の主観ではなく、あくまで隣に住む幼なじみの少女・小凡(シャオファン)の目を通して語られている点にある。

本人が口に出しては訴えられない心の声を、時に学校の先生や彼の親に向かって、彼女がつねに代弁してくれる。

さらに時折流れる曲の歌詞も、彼の胸の内をさりげなく伝えている。

そうした抑制の効いた演出が、深い余韻となって観る者に彼の切ない心情を訴えかけるのだ。

本当の父ではないからこそ自分を強く叱れない父へのぎこちない思いや、誰より自分を愛してくれていた母への、不器用なまでの強い思慕などを。

成長の過程と共に4人の俳優が主人公を演じているが、小学生まではいくら悪ガキとはいえ、いたずらをして叱られたり、通信簿に「傲慢不遜である」と書かれたりしても、まだ、どこか微笑ましい。

だが、主人公が年を重ねるにつれて物語は少しずつ、底に流れる不穏の色を濃くしてゆく。

最初は笑って観ていたはずが、気づけば心の深いところをじわじわと掴まれている、これはそんな、《おもしろうてやがて悲しき》映画なのである。

とはいえ、もっとも大きい出来事が次々に起こる中学時代にも、心に残る名場面が多々。

とりわけ、好きな女の子とその友人たちを家に呼び、小畢が聴かせるレコードが「ビューティフル・サンデー」だったりするあたり、日本に住んでいた身であっても、我が事のように身近に感じてしまった。

そしてもう一つ、朝礼の号令係を命じられた小畢が、海をバックに小さい弟二人を並べて発声練習するシーン。

近くで見守る父も思わず大声で号令を叫び、台所で母がその声を聞いてそっと微笑む。

実にのどかでしあわせな日常の光景だが、その後の急展開を思えばなおさら、この美しさがより悲しく響いてくる。

本作が侯孝賢にとっても特別な一本であることは、二年後に自ら監督した自伝的傑作と謳われる「童年往事 時の流れ」と比較しても明らかだろう。

いずれも一人の少年が傷つき、迷い、自らの熱を持て余しながら大人に近づいてゆく過程を少し離れた場所から淡々と、繊細に見つめている。

そして、人間が生きる上で避けて通れない最大の苦しみとしての身近な者の死が、つねに影のようにつきまとっている点も共通している。

もう一本、「少年」と同じ83年の侯孝賢映画である「風櫃の少年」も、主人公を演じる鈕承澤(ニウ・チェンザー)や「少年」で母を演じた張純芳(チャン・チュンファン)など重なるキャストも多く、自伝的な要素を含めて本作とは合わせ鏡のような作品だ。

郷愁溢るる侯孝賢の映画を振り返り、今、強く感じることは、「少年」の劇中で小凡が語る次の言葉に集約されているように思う。

当時はわからなかった。

生きる上での煩わしいこと、悲しいこと苦しいことも、のちに思い起こせばすべて愛おしく、遠ざかるほど近く感じ、より真実が見えるのだと――。


「少年」
「台湾巨匠傑作選2023~台湾映画新発見!エンターテインメント映画の系譜~」にて上映

監督・撮影:チェン・クンホウ
原作・脚本:チュウ・ティエンウェン
プロデューサー・脚本:ホウ・シャオシェン
出演:チャン・チュンファン/ツイ・フーシェン/トゥオ・ツォンホア
1983年製作/94分/台湾
原題:小畢的故事 Growing Up
配給:オリオフィルムズ

7月22日(土)より新宿K'sシネマ 全国順次開催


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