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月永理絵
実際に演技をしていると、他では感じたことがないような
無限の自由を感じることができる
1996年に初長編「豚が井戸に落ちた日」を発表して以来、30作品以上の作品を発表しているホン・サンス監督。ときには1年に2本の新作を発表するハイペースぶりの背景には、特にこの数年の間で確立された独自の制作体制がある。監督本人が製作・撮影・編集・音楽を担当し、限られたスタッフや気心の知れた俳優たちと仕事をする。身近な場所をロケ地に選び、撮影は基本的にワンシーンワンショットで行う。よりシンプルに、より小さく、よりスピーディーに変化していくそのスタイルからは、さらに実験的で斬新な映画が次々生み出されている。
独自の道をいく映画作家ホン・サンスを支えるのは馴染みの俳優たち。パートナーであるキム・ミニをはじめ、イ・ヘヨンやクォン・ヘヒョら、長年韓国映画を支えてきたベテラン俳優や、すでに三度のタッグを組んでいるフランスの名優イザベル・ユペールらが、毎回ホン・サンスが作り出す不思議な世界を具現化する。
新世代の俳優たちの活躍も目覚ましい。なかでも注目は、2025年に発表された「自然は君に何を語るのか」で初の主演を務めたハ・ソングク。2023年以降の新作5本を上映する「月刊ホン・サンス」の全作品に出演する彼は、「旅人の必需品」(23)では謎めいた年上のフランス人女性と同居する若き詩人を、「小川のほとりで」(24)ではある恋愛スキャンダルを引き起こす演劇青年を、「水の中で」(23)では大学時代の友人たちと自主映画をつくりに済州島にやってくる青年を、「私たちの一日」では老詩人に助言を求める俳優志望者を演じた。
そして「自然は君に何を語るのか」で演じるのは、アルバイト生活をしながら詩を書き続ける35歳の詩人ハ・ドンファ役。映画は、ドンファが恋人のジュニの実家を訪れ、思いがけず彼女の両親や姉とともに過ごすことになったある一日の顛末を描く。
近年のホン・サンス映画には欠かせない存在であるだけでなく、「ミマン」(キム・テヤン、23)に主演し、新世代の韓国俳優としても注目を集める俳優ハ・ソングクに、ホン・サンス監督との出会いから、その作品に出演する喜び、そして新作「自然は君に何を語るのか」での撮影秘話についてお話をうかがった。
◾️ホン・サンス監督との出会い
――ハ・ソングクさんは、これまでたくさんのホン・サンス監督作品に出演されていますが、最初の出会いは建国大学校で監督の授業を受けたことだったそうですね。大学ではどのような指導を受けていたのでしょうか?
ハ・ソングク おっしゃるように、私は大学の教授と学生としてホン・サンス監督と出会いました。ホン監督は大学で演出ワークショップやシナリオの授業を担当されていて、私はその受講生のひとりでした。ホン監督の授業は、先生が大勢の生徒を前に講義をするという一般的な形ではなく、主に1対1の面談形式で行われていました。教える内容も、学生によってそれぞれ違っていたようです。
私の場合は、毎週何かのテーマをもとに短い文章を書くよう言われ、その書いたものに対しまずホン監督がコメントをしてくれて、そこから二人でいろんな話をする、という形で進んでいきました。最初の頃は映画や芸術といった広汎な話をしていましたが、時間が経つにつれて、徐々に私個人の生活や内面について話すことが増えていきました。ときにはホン監督が、芸術家として、映画監督としてこの仕事に向き合うときの心構えのようなものについて話してくれることもありました。少しおおげさに聞こえるかもしれませんが、ホン監督からは、芸術家として人生を見つめる態度を学ばせてもらった気がしています。
――ハ・ソングクさん以外にも、近年のホン・サンス監督の映画には、大学での教え子たちがたくさん出演されています。「イントロダクション」(21)や「水の中で」(23)に主演されたシン・ソクホさんも教え子のひとりで、ハ・ソングクさんとは同級生だったそうですね。
ハ・ソングク シン・ソクホさんとは同い年で大学への入学年も同じですが、お互い在学中の別の時期に兵役についたので、卒業はソクホさんの方が先でした。どちらにしろ、ホン監督の授業は一対一の面談形式でしたので、同級生であっても一緒に授業を受けたというわけではないんです。
――大学を卒業された後、どのような経緯でホン・サンス監督の映画に出演するようになったのでしょうか? 初めて出演されたのは「逃げた女」(20)でしたね。
ハ・ソングク 大学を卒業してから4、5年近く経った頃、いきなりホン監督から電話がかかってきたんです。「最近どうしているんですか?」と聞かれ、私が近況を話すうち、「明日、私の撮影の現場に来なさい」と言われ、その作品が「逃げた女」だったんです。突然のことでとても驚きましたし、尊敬する監督の作品に参加できるなんてと感激し、前の晩は一睡もできないくらい緊張しました。
――初めてのホン・サンス映画への出演はどのような体験だったでしょうか?
ハ・ソングク 「逃げた女」で私が演じたのは小さな役で、後ろ姿が少し映る程度の短い出番でしたが、私にとって本当に大きな意味を持つ作品です。当時の私は、大学を卒業したものの俳優としての仕事はまだまだ少なく、この先仕事を続けていけるのか悩み苦しんでいました。そんなときに突然このようなチャンスをいただき、「君はこの仕事を続けていきなさい」とホン監督が背中を押してくれたのだと感じました。演じながら「ああ、自分は今初めて本当に芝居をしているんだ」という感覚を覚え、忘れられない体験となりました。
◾️独特の制作スタイル
――その後、ハ・ソングクさんは次々にホン・サンス監督の映画に出演し、「自然は君に何を語るのか」では初の主演を務めています。今回自分が主役を演じるということは、オファーの段階ですでに聞いていたのでしょうか? また主演を務めるのは、これまでとはまた違う体験だったでしょうか?
ハ・ソングク まずホン監督の基本的な撮影の仕方をお話ししたほうがいいかなと思います。ホン監督はいつも、撮影当日の朝にその日演じる内容を書いた台本を俳優たちに渡すという撮影スタイルをとっています。ですから俳優たちは、自分が何の役を演じるのか、どういう内容の映画なのか、わからないまま撮影に参加することになります。「自然は君に何を語るのか」の参加を決めたときも、自分の出番がどのくらいあるのか、どんな話でどういう役なのかはまったく知りませんでした。そして撮影が始まる数週間くらい前に出演者とスタッフが集まるミーティングが開かれ、そこで監督がだいたいの内容や進め方を説明してくれました。そのとき初めて、自分が演じる役のこと、私を中心に物語が展開していくことを知りました。
主役であれ、小さな役であれ、俳優として芝居に臨む態度は変わりません。ただ、主演となると当然撮影に参加する時間は増えますし、やるべきことも多くなりますから、体調や心のコンディションは常に良い状態でキープしておきたい。撮影の前の日には、怪我やアクシデントがなく無事に撮影が進むようにと、毎晩お祈りをして翌日に備えていました。
――今回ハ・ソングクさんが演じたのは、自然をこよなく愛する35歳の詩人の役です。役作りなどはどのように準備されましたか?
ハ・ソングク 詩人の役を演じるとわかったあとは、何か準備をしておいた方がいいかなと思い、少し詩を書いてみたり、役作りのために数日間孤軍奮闘していました。でもふと、監督が望んでいるのはこういうものではないはずだと気づきました。役のために準備をするような自分は自然な姿ではない気がしたんです。そこで私は役作りのために何かするという考えを捨て去り、とにかく身も心も健康でいよう、どんな状況を与えられても最高なものを出せるコンディションでいようと、それだけに集中して撮影までの日々を過ごすことにしました。
ひとつ監督から言われていたのは、髭を生やしてほしいということでした。「一度髭を生やした姿を見てみて、それを映画にも生かすか決めたい」と言われ、撮影に入る二、三週間前から髭を伸ばし始めました。メガネも、私が家で使っているものがあれば見せてほしいと言われて現場に持って行ったところ、それを小道具として使うことになりました。それと撮影中はずっと手帳とペンを持ち歩いて、ドンファのように何かを書いたりしていました。
――「自然は君に何を語るのか」の物語は、ホン・サンス監督が、ジュニ役のカン・ソイさんのご実家に招かれたのをきっかけに生まれたと聞いています。撮影にはこのときに訪れた家がそのまま使われ、またハ・ソングクさんとカン・ソイさんは実生活でもパートナーでいらっしゃるそうですね。実際にそこに存在している場所や、現実の人々の関係性から物語を生み出していくのが、ホン・サンス監督のスタイルといえるでしょうか?
ハ・ソングク そうですね。ホン監督の映画のアイディアは、身の回りで見たり感じたりしたものが、もともと自分の心の中で創作したいと考えていたことと一致したときに、その成果物として生まれてくるのだと思います。だからこそ、監督本人が実際に目で見て感じた素材が大事になってくるのでしょう。もちろん現実がそのまま映画になるわけではありませんし、そこから台本が完成するまでの過程には、私たちの想像できないような複雑なレイヤーが存在するとは思いますが。
◾️「自然は君に何を語るのか」撮影秘話
――この映画では、ジュニの両親が飼っている鶏や犬、見晴らしのいい丘、父親の秘密基地であるコンテナハウスなど、ジュニの実家の様々な場所が登場します。すべて実際にカン・ソイさんのご実家にあるものを利用して使われたのでしょうか?
ハ・ソングク 映画に出てくるものはすべて、実際にそこに存在していたものです。カン・ソイさんのお父さんも実際に畑仕事をしていますし、鶏を育て、犬と一緒に暮らしています。コンテナハウスも元々そこにあったものです。普段は彼女のお母さんが楽器を練習するときに使う部屋なので、そこは映画用に少し変更が加えられています。
――ホン・サンス監督の映画には、しばしば臨場感溢れる酒宴が登場します。今回も、夕食会のシーンでドンファが酔っ払っていくのにつれて、ジュニの家族と気まずい会話になっていきます。現場では本物の酒が用意されることが多いと聞きますが、あそこではやはり本当にお酒を飲んで演技をしていたんでしょうか?
ハ・ソングク 家族が一緒にご飯を食べるシーンは、正確には二回に分けられていて、撮影も別に行いました。最初の場面は、まだ日が出ている夕方に、ジュニの母親が作ってくれた鶏肉料理を家族全員で囲むシーン。二回目は、ドンファがお父さんと一緒に日没を見に山に行ったあと、戻ってきてまた食卓につくシーン。この二回目の食事の場でドンファは酒を飲みすぎ醜態を晒すことになります。では実際の撮影でどうだったかというと、明るい時間帯の食事会の場面では、私は本当にお酒を飲んでいました。そして二回目の夜の場面では、お酒は飲まずに泥酔した姿を演じました。
お酒を飲む場面の撮影をする際、ホン監督はいつも二つの選択肢を俳優に与えてくれます。本物のお酒を飲むか、似たような色をしたノンアルコールの飲み物にするか。私を含め、ほとんどの役者は本物のお酒を選びます。ただ、夜になりドンファが泥酔して大声を出し始める場面では、私は珍しくノンアルコールの飲み物を選びました。そうして演じてみたところ、わりと早々にOKが出て、結局お酒の力をほとんど借りることなく撮影を終えました。
――あの場面でのドンファの酔いっぷりが見事だったので、お酒を飲んでいなかったと聞いて驚きました。ふだんは飲みながら演じることが多いということですが、実際に酔っ払うことは演技にどのような影響を与えると思いますか?
ハ・ソングク お酒を飲んで撮影に入ると、ちょっと爆発するような気持ちになるというか、自分の中で勢いがつくんですね。もちろんセリフを忘れてしまうほど泥酔してはいけませんが、適切な量であれば、実際の酔いが演技にも滲み出るように感じるし、俳優たちの呼吸がしっかり合うことで本物の酒宴のような雰囲気が出てくる。だから私もこれまで迷わず本物の酒を選んできたのですが、今回は少し特別なケースだったなと思います。
――ホン・サンス監督が描く酒の場では、人々が交わす会話の面白さはもちろん、酒を飲む仕草も魅力的です。グラスにお酒を注いでは口に運んでいくテンポの良さや、グラスがテーブルに当たるリズミカルな音に、いつもうっとりしてしまいます。こうした酒の場でのふるまいや動作に関しても、ホン監督は細かく演出をするのでしょうか?
ハ・ソングク 基本的には、そうした動作もすべて、撮影日の朝に渡される台本のなかに書かれています。お酒はまず誰が注ぎ、それを誰が飲むのか。いつ頃グラスを空け、次の酒を注ぐか。おつまみはどのタイミングで食べるのか。酒を飲む順番から、次の動作に入るタイミングまで、すべて台本通りです。ただ、リハーサルで俳優たちが演じるうち、台本とは違ういいタイミングが見つかることもあります。そのときは「ここはこう変えてみてもいいですか?」と相談し、監督が「そうしてもいいですよ」と言ってくださればそのように変更します。とはいえ基本的に、ホン監督の書かれる台本には会話から細かい動作に至るまで実に細かい指示が書かれていて、俳優たちはそれに従って演じていくことになります。
◾️独自のスタイルが作り出す唯一無二の映画
――日本では近年、商業大作から独立映画までさまざまな種類の韓国映画が紹介されるようになり、これまで以上に韓国映画ファンが増えてきたなと感じています。一方で、ホン・サンス監督の映画には他の韓国映画とは一線を画す独自のスタイルがあり、言ってみれば「ホン・サンス映画」という一ジャンルを築いているように思います。ホン・サンス映画が公開されたら絶対に観に行く、という熱狂的なファンが一定数存在しています。韓国でのホン・サンス監督の映画の受容のされかたはどのようなものなのでしょうか?
ハ・ソングク 韓国でもここ数年、日本のアートハウス系の映画が大きな人気を得ていて、素晴らしい映画がたくさん上映されています。両国でお互いにこういう現象が起きているのはとても喜ばしいことですよね。
一方で、ホン・サンス監督の映画を一般的な韓国映画のように言われると、私もちょっと疑問を感じるところがあります。ホン・サンス監督は、30年以上に渡って独自の道を歩んできた方で、韓国映画の一般的なシステムとは大きな距離があるように感じます。国内でもホン・サンス監督の熱狂的なファンはいますし、その認識や受容のされ方については、日本での場合と似ているのではないでしょうか。
ホン監督の美学やアイデンティティは実に確固としたものです。短い場面を見るだけで「これはホン・サンス監督の映画だな」とすぐに気づくくらい、それぞれの作品には、必ず監督の刻印が押されている。まるで職人の手仕事のようだと感じます。既存の韓国映画とはやはり全然違う、特別なジャンルを構築した人だと私も考えています。
――最後に、ハ・ソングクさんにとって、ホン・サンス監督の映画に出演する喜びとはどのようなものなのか、教えていただけますか?
ハ・ソングク ホン監督の映画に関わることができて、毎回本当に光栄なことだと感じています。ホン監督の映画作りは、先ほども話したように、当日の朝に台本が出てくるような、独特のスタイルを持っています。その現場に参加していると、ホン監督が世の中をどういう視点で眺め、どう捉えているかが感じられ、普段の生活では気づかないいろんな物の見方に気付かされます。
映画をパッと観た印象では、セリフが多くて大変そうだとか、頑固さを持った監督だなと感じる人もいるかもしれません。でも実際に演技をしていると、他では感じたことがないような無限の自由を感じることができる。ホン監督の現場に参加するたび、いつも斬新さを感じ、大きな自由を得ています。
「自然は君に何を語るのか」
監督・脚本・製作・撮影・編集・音楽:ホン・サンス
出演:ハ・ソングク/クォン・ヘヒョ
2025年/108分/韓国
英題:What Does That Nature Say to You
配給:ミモザフィルムズ
3月21日(土)よりユーロスペース他にて全国順次公開