*

review

ホウ・シャオシェン論

text
暉峻創三


大胆な変貌──その歴史

この4月(2021年4月)から全国で順次開催される【ホウ・シャオシェン大特集】。

現在、日本で上映可能な状態にある監督作だけでなく、プロデュース作や出演作も含まれており、これまでに行われた同種の特集としては最大級のものとなる。

1980年、「ステキな彼女」での監督デビュー以来41年。
昨年11月には地元台湾で開催された金馬奬において終身成就賞も授与されたホウ・シャオシェンの創作の軌跡を振り返る、絶好の機会がやってきた。

今回上映される最も古い監督作は、1981年現地公開の「風が踊る」(デジタルリマスター版での上映)。

台湾映画の新しい波、即ち台湾ニューシネマの開始は82~83年にかけてなので、これはまさに台湾映画史に革命が起こる前夜の作品ということになる。

監督ホウ・シャオシェンにとっては、第2作。
仏ヌーヴエルヴァーグや香港ニューウェイブの代表的作家たちがその監督デビュー作から鮮烈に旧世代との違いを見せつけて登場し、それが新しい波の発生を自然と人々に印象付けたのに対し、ホウの登場は、まったくそうしたものではなかった。

「風が踊る」は、監督デビュー作「ステキな彼女」の成功を受けて同工異曲的に作られており、仮にデビュー作を見ていなくても、これ1本でデビュー作の作風をも容易に察知することができる作品だ。

両作とも、ヒロインを演ずるのは、当時の人気アイドル歌手として活躍していたフォン・フェイフェイ。

そして共に、相手役を香港出身でやはり人気アイドル歌手として活躍していたケニー・ビーが務めている。

また、やはり香港出身のアンンソニー・チェンが準主役を演じている点まで、共通している。

いずれの作品とも、フォンが演ずるのは、結婚適齢期を迎えた女。そしてどちらの作品でも彼女は、親が結婚相手として望む男と、彼女が新たに出会って愛情を感じはじめた男との間で、心が揺れ動く。

言わば、アイドル歌謡恋愛映画。
たとえば黒沢清が監督第1、2作「神田川淫乱戦争」や「ドレミファ娘の血は騒ぐ」において、ピンク、ポルノ映画の枠組みを借りつつそのジャンルを内側から打破し、自身の斬新な作家性を強烈に表してみせたような野心は、ホウの初期2作には認められない。

彼は、アイドル映画、歌謡映画、青春恋愛映画のお決まりのパターンを、どこまでも観客が安心して気楽に見られることを最優先して、従順になぞってみせた。

とはいえ、だからといってホウ・シャオシェンらしさが無いかというと、そうでもない。

むしろジャンルの定型をしっかり守った作品なだけに、彼の本質的に好きなものが隠し切れずに部分的に露呈しているのが、興味深い。

物語の本筋とは直接関係しないが、子供たちの出番を用意し、画面を活気づけるのに有効に活用していること。

大都会・台北だけで物語を語りきらず、田舎の場面を効果的に導入していること。そして映画が直接描写しない時間、場所において発生する、人生の大きな変化。

後のホウ作品の最も美しい瞬間をしばしば構成するこうした要素は、「風が踊る」を含む初期作品に早くも表れている。

一方で、撮影監督をリー・ピンビンが務めるようになった中期以降の作品からは消失した、ズームを含むラフなカメラワークが、今から見ると微笑ましい。

「風が踊る」の次に発表された監督第3作「川の流れに草は青々」は【ホウ・シャオシェン大特集】での上映はないが、本作もケニー・ビー主演のアイドル映画。

田舎、子供等、上述の特徴がさらに強く認められ、後のホウ作品の風格をより多くの点で予見させるものとなっている)で、監督ホウ・シャオシェンの第一期は終わる。

そして次作「坊やの人形」から、いよいよホウの第二期が始まることになる。
「風櫃の少年」「冬冬の夏休み」「童年往事 時の流れ」を経て「恋恋風塵」に至る時期。

言うまでもなく、この第二期こそ、彼がその独自の作家性を確立した時代だ。

「風櫃の少年」のナント3大陸映画祭グランプリ受賞をきっかけに、国際的な脚光を浴び始めた時期でもある。

「HHH:侯孝賢」の監督オリヴィエ・アサイヤスが台湾を訪れ、初めてホウ・シャオシェンらと出会ったのも、この時期。

同時にエドワード・ヤンら同世代の監督たちも次々新鮮な作風の作品を引っさげてデビューし、台湾映画はニューウェイブ時代を迎えた。

「風が踊る」をはじめとする第一期作品を見た上で第二期の作品を見ると、ひとりの同じ監督がここまで大きく変化できることに、誰もが驚きを禁じ得ないだろう。

まず人気アイドルありきだった第一期作品から打って変わり、「坊やの人形」以降は役柄に応じた適材適所のキャスティングが徹底されるようになった。

人気スターが起用されることはなくなり、他方でしばしば非職業俳優が起用されるようになる。

脚本のチュー・ティエンウェン(「風櫃の少年」以降)、撮影のリー・ピンビン(「童年往事」以降)ら、その後今日に至るまでのホウ作品の基礎をなすチームが成立したのも、この時期だ。

題材も大きく変わる。
アイドル映画というジャンル上でありきたりな借り物の物語を語っていたそれまでから一転、自身やチューの体験に深く根差した、リアリティある題材が好んで取り上げられるようになった。

映像面での風格も大きく変わった。
カメラワークは、第一期とは別人の監督が撮ったかのよう。カメラの動きだけではない。

構図、フレーミングといった点でも、より地に腰を落ち着け、登場人物に対し距離を持って冷静に見つめる視点を獲得した。

画面の外側の空間の意識的な活用が目立つようになったのも、この頃からのことだ。

「童年往事」以来のリー・ピンビンの加入が、この変化の背景にあることは、言うまでもない。

けれど題材の違いや、アイドル起用から非職業俳優を含む非アイドル起用への移行もまた、撮影美学の変化に大きな影響を与えた可能性がある。

その後のホウ・シャオシェンは、一時的に第一期に舞い戻ったかのようなアイドル映画の異色作「ナイルの娘」を経て、89年に「悲情城市」でベネチア国際映画祭の金獅子賞(グランプリ)を受賞。

内外での評価を決定的なものとした。
ここからが、彼の第三期。
そしてそれは、「黒衣の刺客」を最新作とする現在にまで至る。

  ここでもホウはまた、大胆な変化を遂げてみせた。
この時期の特徴、変化の第一は、第二期とは打って変わり、名声あるスターを大胆に主演級で起用するようになったこと。それも台湾のみならず、広く海外からも起用していった。

トニー・レオン、チャン・チェン、スー・チー、伊能静、一青窈、浅野忠信、羽田美智子、ミシェル・リー、妻夫木聡、ジュリエット・ビノシュ……。

いずれも第一期の主演者たちのような、アイドル路線の人気スターとは異なる。独自の個性を放ち、独特な路を歩んできたスターを、好んで起用しているのが目立つ。

だが同時に、国際的に話題性あるスターを迎えながら、けっして巨匠化、大作監督化、あるいは大衆向け路線化や保守化の路を歩みはしていないのも、ホウ・シャオシェンの賞賛すべき特徴の一つだろう。

スターを迎えてどんなに大風呂敷を広げられそうな企画、ジャンルであっても、彼の作品は一貫して非主流な、マージナルなものであり続けている。

そして一つの作品で確立した名声に安住し、同じ路線を拡大再生産するような創作活動はしない。

この4月8日で、彼は74歳の誕生日を迎えたはずだ。けれど、なんと若々しい74歳だろう。

これからも彼は、挑戦し続け、変化し続け、きっと青年監督のように周縁的な存在であり続ける。

彼がその第一期に仲間と共に初めて設立した映画会社は、萬年青(エバーグリーン)と名付けられた。会社自体は近年、活動休止状態にあるように見えるが、ホウ・シャオシェン自身は今も、社名そのままの生き方をしている。


台湾巨匠傑作選2021 侯孝賢監督デビュー40周年記念<ホウ・シャオシェン大特集>
4月17日(土)~6月11日(金)まで新宿K’s cinemaにて開催
配給:オリオフィルムズ
配給協力:トラヴィス


<関連記事>
A PEOPLE CINEMA/「台北暮色」
A PEOPLE CINEMA/「台北暮色 是枝裕和が語ったホアン・シー」
review/ホウ・シャオシェン論


フォローする