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review

ユン・ジョンヒ
追悼

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佐藤結


「ポエトリー アグネスの詩」
その忘れがたい名演

60年代半ばから70年代にかけて多くの作品に主演し、15年ぶりの映画出演となったイ・チャンドン監督の「ポエトリー アグネスの詩」(2010)でも、忘れがたい名演を見せた俳優ユン・ジョンヒが2023年1月19日、長年、暮らしていたフランスのパリで亡くなった。

78歳だった。

1944年7月30日に釜山で生まれたユン・ジョンヒは、朝鮮大学校英文科に在学中の66年、合同映画株式会社の新人俳優オーディションに参加し、1200倍という競争に勝ち抜いて合格。

翌年、カン・デジン監督の「青春劇場」でデビューした。この時代の韓国映画界は多彩な作品が次々と作られ、後に「ルネサンス時代」と呼ばれるほど活況を呈していた。

例えば、69年の観客動員数1億7800万人という記録は、「10人の泥棒たち」、「王になった男」という2本の韓国映画がそれぞれ1200万人以上を集めた2012年になるまで、40年以上も破られることはなかった。

そうした中で、ユン・ジョンヒもすぐに各社から引っ張りだこの人気俳優となり、68年だけで40本以上の作品に出演。

総作品数は280本にのぼっている(韓国映像資料院が運営するオンラインデータベースKMDb基準)。

また、「糞礼記」(71)で大鐘賞主演女優賞、「石花村」(72)で青龍映画賞主演女優賞など、数多くの賞も受賞。

人気、実力ともに傑出した女優として、同時期に活躍したムン・ヒ、ナム・ジョンイムと共に、「第一世代トロイカ」とも呼ばれた。殺人的に忙しいスケジュールの中でも学業を続けたユン・ジョンヒは中央大学校大学院に進み、演劇映画科で修士号を取得。

73年にパリ第3大学に留学し、拠点をフランスに移して以降、出演作は減っていったが、94年に出演した「マンムバン〔恥知らず〕」では、久しぶりに大鐘賞主演女優賞に選ばれている。

ここまで、資料を元に彼女の足跡を簡単にまとめたが、日本の多くの観客と同様、私がユン・ジョンヒという俳優に出会ったのは、「ポエトリー アグネスの詩」という映画を通してだった。

04年に韓国で起きた10代の少年たちによる性的暴行事件を契機として作られ、カンヌ国際映画祭で脚本賞に選ばれたこの映画は、直接的に暴力を描くことはせず、一見、遠回りとも思えるような方法で、事件の意味を問いかけた。

ユン・ジョンヒが演じたのは、地方の街で中学3年生の孫ジョンウクと暮らす66歳の主人公ミジャ。

彼の母親である娘からの仕送りも当てにできない苦しい経済状況の中、病気療養中の男性の介護ヘルパーをしながら、細々と生計をたてているという人物だ。

といって、わかりやすく“生活に疲れた”姿で登場する訳ではない。

薄いピンクのブラウスや柔らかなフレアスカートを身に纏い、会う人ごとにその“おしゃれな”外見を褒められ、本人も満更ではないという顔をする。

イ・チャンドン監督はこの作品のプロットを構想したのとほぼ同時に、ユン・ジョンヒのことが頭に浮かんだという。

同作のDVDに収録されたインタビューの中では、彼女には純粋さと共に内に秘めた底知れない深さがあると語っている。

主人公の名前であるミジャは、ユン・ジョンヒの本名でもある。

ミジャというキャラクターは、名前だけにとどまらず、美しいものを見つけると立ち止まらずにいられないような性格が、自分にとても似ていると、ユン・ジョンヒ自身も認めている。

そうしたことを思いながらこの映画を見直すと、詩作教室に通い始めたミジャが、幼い日の出来事を思い出して語るという印象的なシーンで、自ら「ミジャ、ミジャ」と呼びかける姿が、役や俳優ユン・ジョンヒという殻を脱ぎ捨てた、ソン・ミジャという本名を持つひとりの女性そのもののようにも見えた。

それまでのスタイルとはまったく違う演技を求められた現場で、過酷な人生を生きる女性になりきるため「全身全霊で」撮影に臨んだという気迫が伝わってくる。

彼女がこの役を演じていなければ、「この世界の美しさと過酷さ」を鋭く見つめるこの映画自体が成立しなかっただろう。

「ポエトリー アグネスの詩」のミジャは、孫が友人たちと共に女子生徒を性的に暴行し、その後、彼女が自ら命を断ったと知るのと同時期に、自分が初期の認知症であるということにも気づく。

そのことが、物語の展開に緊張感をもたらすのだが、この映画の公開から約10年が過ぎた19年に、夫であるピアニストのペク・ゴヌによって、ユン・ジョンヒ自身がアルツハイマー型の認知症であることが明かされた。

パリに渡った後も、引退したと考えたことは一度もなかったというユン・ジョンヒ。

「ポエトリー アグネスの詩」の公開時に行われたインタビューでも「90歳を過ぎて、その時の人生をスクリーンに描くのが夢です。肉体で小説を書くというのは、なんと美しいことでしょう。生まれ変わっても素敵な俳優になりたい」と語っていた。

生涯、映画を愛し、映画のように生きた俳優だった。

参考
『韓国映画史 開化期から開花期まで』(キネマ旬報社)
『韓国映画100年史 その誕生からグローバル展開まで』(明石書店)
「『ポエトリー アグネスの詩』ユン・ジョンヒ 「肉体で小説を書くというのは、なんと美しいことでしょう」』ノーカットニュース 2010.5.11
Korean Movie Datebase(KMDb)


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