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review

イ・チャンドン×筒井真理子
第5回
「ポエトリー アグネスの詩 4Kレストア」

聞き手 溝樽欣二
構成 濱野奈美子


一番見たくない現実と対峙しなければならないという、
その皮肉な二重構造が素晴らしい

「イ・チャンドン レトロスペクティブ 4K」が全国で順次開催中。今回上映されるのは、イ・チャンドンが制作の原点と人生を語る新作ドキュメンタリー「イ・チャンドン アイロニーの芸術」と今まで発表した長編映画の計7本。イ・チャンドン全長編監督作品を女優・筒井真理子が語る。6週連続の特別企画、その第5回。

――筒井さんが大好きなもうひとつの作品が「ポエトリー アグネスの詩」ですね。

ラストが素晴らしいです。そして、切ないです。あの、バドミントンのシーンは様々に受け取れると思うのですが監督は説明しない。いろんな見方があるし、それでいいと思います。主人公のミジャさんのキャラクターは面白いです。66歳を65歳とたった1歳鯖を読んでみたり、自分に詩の才能があるというのは自分が娘に言ったことなのに、それを人に話す時は娘が言ったことにしたり。人間の矛盾、それが可愛らしさであるというところが、いかにもイ・チャンドン監督らしく、好きです。

――でも、ちょっと派手な格好していて、金持ちそうと、誤解されるじゃないですか。

暗い気持ちの時こそ綺麗にしていようというのは、私も以前はありましたし、気持ちは分かります。ただ、娘が飛び込み自殺した被害者の母親に会いに行く場面で、服装のことをキボムの父親に言われるそのシーンでは私もこれは後々問題になるのだろうなとは思いました。その後の、アンズの詩が秀逸でした。「アンズは地面に身を投げ割れて踏まれる 生まれ変わるために」。心がザワザワする瞬間です。それを母親に伝えて、でも示談の話は忘れてしまう。「それでは」と言って離れてから気づく。

――物語の終盤で、ミジャと孫のジョンウグはバトミントンをする。いままで続いていた日常が崩れますが、それを招いたのはミジャ自身でもある。

(ミジャが通う詩作教室で出会った)刑事のキャラクターも良かったです。お芝居も素晴らしかったし、現実味がありました。ミジャが泣いている時に、「どうしたんですか」とただ聞いているだけです。でも、そこで信頼しいたのかなと思いました。「おねえさまはかっこいい」と彼は言います。おばあさんじゃなくておねえさま、それも良かった。

――ジョンウグ役のイ・デヴィッドもすごく良かったですね。感情は出ないのに、本当に純朴そうな顔しているじゃないですか。

父親たちが事件の経緯を説明するときに、彼の名前は最後まで出てきません。自分はしたくなかったか、嫌だったか、そんな感じがします。

――被害者の母親の演技がすごくなかったですか? 最初の病院のシーン、衝撃的でした。

私は示談の話をする場での演技が心に留まりました。ミジャの「謝りに行ったけど会えなかった」という説明を聞いて、認知症だとは思わないまでも、“何か意図的に田舎に来て自分の感情を逆なでするような会話をした”とは思わなかった気がします。彼女は、その後にミジャがふらふら歩いて車のクラクションを鳴らされていたのも見ていたのでしょうか。もし見ていなかったら、示談には応じないような気がします。さりげないけれど、結構大事なシーンだと思います。

――そこはちょっと気が付かなかったですね。

二人が初めて畑で話す時も、鳥が鳴いていたり、光がいっぱいで、ミジャが美しいことだけを話したくなってしまう感じもわかります。落ちたアンズ(=死)を祝福する、なんて不謹慎なことも言っている。でも、アグネスの母親にとっては、畑作業は現実そのもので、豊作になれば値が下がるし、凶作だとそれも大変って、会話がすれ違ってしまう。

――お金は必要ですよね。それも伏線と言えば伏線です。それにしても示談のためのお金を会長からうまく巻き上げたと思いましたね。

家族が集まっている時に行ったのは狙いでしょうか。娘がいる時に「会長から受け取るお金がある」と言ったら出さざるを得ない。彼女が立ち会っていることが決め手ですかね。

――ミジャの選んだ示談金の工面方法はそこまでして、と思いました。

最後は孫ジョンウグをしっかり罪と向き合わせる。きっと女性であるがゆえに許せなかったんだと思います。父親たちの中に一人だけ祖母を入れたのはうまい構成です。5人の男性は罪とは考えず、ただ逃げている。私は「淵に立つ」の時に、遷延性意識障害の娘さんをお持ちの女性とのお話をさせていただいたのですが、やっぱり多くの夫は家を出てしまったりされるそうです。女性は現実を見ることができる。でも、男性は向き合うことが難しい。リアルだと思います。そして「詩」です。先生が「詩は美しさを見つける作業」なのだと言う。まさにそうしようと思った時に一番見たくない現実と対峙しなければならないという、その皮肉な二重構造が素晴らしい。さらにそこに認知症が入っていくのもすごく上手いです。

――本作もしっかり2時間20分ありますが、ディテールがしっかり描かれていて、少しも長く感じません。

映像と演技のベストマッチだと思います。何の障害もなく心に刺さってくる。イ・チャンドン監督の映像を構築する能力の高さだと思います。もちろんもともと才能があったのでしょうが、その能力が花開いたということなのだと思います。それに、監督の作品は古くならない。時代に左右されないです。それが本当に素晴らしいと思います。

筒井真理子
山梨県出身。早稲田大学在学中に劇団「第三舞台」で初舞台。第69回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で審査員賞を受賞した「淵に立つ」(16)の演技力が評価され、数々の映画祭で主演女優賞に輝いた。主演作品「よこがお」(19)で芸術選奨映画部門文部科学大臣賞受賞。全国映連賞女優賞受賞。Asian Film FestivalのBest Actress最優秀賞受賞。主な出演作に「クワイエットルームにようこそ」(07)、「アキレスと亀」(08)、「愛がなんだ」(19)、「ひとよ」(19)、「影裏」(20)、「天外者」(20)「夜明けまでバス停で」(22)など。最新主演映画「波紋」が23年5月より全国公開。近年の舞台に「そして僕は途方に暮れる」(18)、「空ばかり見ていた」(19)、COCOON PRODUCTION 2021+大人計画「パ・ラパパンパン」(21)などがある。ドラマ「エルピス-希望、あるいは災い-1」(22)、「大病院占拠」(23)、「ヒヤマケンタロウの妊娠」(23)、「エンジェルフライト 国際霊柩送還士」(23)「ラストマン-全盲の捜査官-」(23)、に出演。今後も多数公開作品が控えている。書籍「フィルム・メーカーズ ホン・サンス」の責任編集を果たした。A PEOPLE出版の「作家主義 ホン・サンス」、「作家主義 韓国映画」(パク・チャヌクの章)でインタビューが掲載されている。


イ・チャンドン レトロスペクティブ 4K

「ポエトリー アグネスの詩 4Kレストア」
監督・脚本:イ・チャンドン
製作:イ・ジュンドン
出演:ユン・ジョンヒ/イ・デヴィッド/キム・ヒラ
原題:시(Poetry)
配給:JAIHO
2010年/韓国/139分
Ⓒ2010 UNIKOREA CULTURE & ART INVESTMENT CO. LTD. ET PINEHOUSE FILM. TOUS DROITS RESERVES

ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開中


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